我々は、平素、目の前の物事をできるだけ、リアルに直視して、真実を掴みたいと執着している。しかし、最近、世界にあらゆる情報が溢れ、誰でも何でも知ることのできる時代になった。その割にはリアルな現実をしっかりつかもうとすると、時間をかけて情報を漁っても、大海の一滴感が残る。それはきっと、もう一つ、上からの視点に立つ自分への憧れが残るからか。
人間誰でも、物事を見ている自分を、上から観れる自分がいるといいと切望するものです。本当は天から物が見えるといいのに、なぜか今の時代は、片目が足りない、という錯覚に陥らざるを得ない。
と言って、地上にいて、同時に屋上から見ることはできない。残念ながら、自分が、見て、聞いて、感じる範囲は、何か特定少数の、自分に関係ある物事に限られる。
同時に一所不住にして、遍満できないものか?。即ち、一ヶ所に居て、他所から、上から、観ることはできないものか。これは、ただ高いところに昇って見ることではないはず。自分が一緒に動いてはしかたない。
それを打ち破るには、物事を見たり聞いたり語ったりする時に、ちらりと、範囲を興味を、いきなり無限大ではなく、不特定多数に視野を広げて観ることではないか。
と言うことは、何かに、おやっ、とか、もしや、とか、ひやり、とか感じた時、それが合図なのである。
その瞬間を逃さず、不特定多数の範囲に、広げて観ることをやってしまう。この言葉には不思議に、地からの目と天からの目という、天地の目を持つ感覚が潜みます。
自分にとっては小さな馴染みの特定少数のテーマでも、正に不特定少数であるところの、「不確実性、多様性。営利を目的としない事業。一見して見えないリスク、集団の中に起きてしまった不正
などを皆で排除していく勇気の失われた暗闘の世界とか・・・」の世界との繋がりにに引き寄せられる。一番卑近な例は、どこにもある町にあるお役所について、何か問題が起きなくても、お役所
とは、誰のためのどんな仕事をするところか、と自分に聞いても、よく分からない。しかし、世界のどこでも、お役所とは、その国の憲法や法律に従って、世界共通のパターンで動いている、さす
れば、お役所は、正に、その国・地域の住民のため、不特定多数に奉仕するために仕事する。その国のという、限定が付くけれど、日本であれば、憲法が立派で不特定多数を重く考える国として、
日本は住民としての外国人の諸権利を厚遇していることで分かります。一方、例えば、誰でも、自分なりの見識を持っていたい言葉の中に、「自由と義務」があります。この二項一ついて、自分は
よく理解していなかった、と、ひやりとする瞬間がありましたら、それはチャンス。すかさず、「不特定多数にとって、自由と義務」とは、と検索してみよう。そうすると、自分が殆ど無関係と
無視してきた無限大の未知の領域の中に、何らか関係のありそうな、不特定多数側からのメッセージが、届くと思います。貴方の多方面の参考情報が、手元に引き寄せられます。その検索のページ
から、取捨選択して、自分の思索が一気に深化する楽しみが沸きます。これは、今後の貴方の理性と感性の飛翔にとって、代えがたき有力な言葉のブラッシュアップ・ツールとなり得ましょう。
「無限・絶対・最高の、全てから自由で、公平な、愛情溢れるゼロ」の天に近づけます。
◎某大手商社のキャッチフレーズに 『世界とひとりのために』という素敵なものがある。これは、同社が『不特定多数』の中の『ひとり』という正反対で同時に存在する、宇宙存続の原理で、無限の中に個別を追う、という姿勢を重ねたハイテクニックです。ぐっと来るものがある。
